平野 長泰(ひらの ながやす)
生年 | 1559年 |
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没年 | 1628年 |
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主君 | 豊臣秀吉→豊臣秀頼→徳川秀忠→徳川家光 |
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拠点・知行 | 大和 |
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官位・役職 | 従五位下・遠江守 |
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幼名 | |
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法名 | |
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別名 | 長勝、豊臣長勝、権平 |
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平野長泰の家族構成
父 | 平野長治 |
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母 | 堀田道悦の娘 |
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兄弟 | 長時、長景、長泰、長重、長知 |
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正室 | 土方雄久の娘 |
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側室 | |
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子 | 長勝 |
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親族 | |
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平野長泰の逸話
- 賤ヶ岳の七本槍の中では唯一大名にはなれなかった
- 細川忠興に招かれ、細川家に仕官するように誘われるが、「御手前の家中になりては、爰から小便する事がならぬ」と庭へ放尿しながら断ったという
平野長泰の生涯
- 1559年、生誕
- 1579年、この頃から羽柴秀吉に士官する
- 1583年、賤ヶ岳の戦いで一番槍の戦功を挙げ賤ヶ岳の七本槍と称えられる
- 1584年、小牧・長久手の戦いで羽柴秀次が敗走した際、敵陣に飛び込み首級を挙げ、二重堀砦の戦いでも奮戦する
- 1597年、従五位下遠江守に任命され豊臣姓を賜る
- 1600年、徳川家康の会津攻めに従軍し、そのまま関ヶ原の戦いでは東軍に所属する
- 1612年、二条城の普請に関わる
- 1614年、大阪冬の陣では江戸留守居役を任じられる
- 1628年、死去する。享年70