生年 | 1570年または1573年または1574年 |
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没年 | 1576年 |
主君 | |
拠点・知行 | 近江長浜城 |
官位・役職 | |
幼名 | 石松、石松丸 |
法名 | |
別名 |
羽柴秀勝の家族構成
父 | 豊臣秀吉 |
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母 | |
兄弟 | 石松丸、鶴松、秀頼 |
正室 | |
側室 | |
子 | |
親族 |
羽柴秀勝の逸話
- 木像が知恩寺瑞林院にあり、この木像をもとにした肖像画が大徳寺本坊知恩寺に現存している
羽柴秀勝の生涯
- 1568年、生誕
- 1577年頃、長男・石松丸を亡くした羽柴秀吉の養子となり、傅役に藤掛永勝が、織田信長によって任命される
- 1582年、織田信長の命令で羽柴秀吉が中国攻めを行い備中に進軍すると同行し備前児島・常山城攻めで初陣を飾る
- 同年、本能寺の変が起きると山崎の戦いに異母兄・神戸信孝と共に参戦する
- 同年、清州会議後、丹波亀山城主となる
- 同年、従五位下・丹波守、正四位上・侍従に相次いで叙任され、この頃に毛利輝元の養女・羽柴秀勝室と婚約する
- 1583年、賤ヶ岳の戦いに従軍する
- 1584年、小牧・長久手の戦いに従軍し、近江草津に布陣し、木曽川筋攻撃で奮戦する
- 1585年、従三位・左近衛権少将次いで正三位・権中納言に叙任されるが病に倒れ丹波亀山城で病死する。享年18