生年 | 1540年 |
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没年 | 1582年 |
主君 | 明智光秀 |
拠点・知行 | 丹波亀山城 |
官位・役職 | |
幼名 | |
法名 | 長閒斎 |
別名 | 次右衛門、二郎、二郎四郎 |
明智光忠の家族構成
父 | 明智光久 |
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母 | |
兄弟 | |
正室 | 明智光秀の娘 |
側室 | |
子 | 光近 |
親族 |
明智光忠の逸話
- 明智五宿老の1人ではあるが、名前の登場するのは主に「明智軍記」で史料は少ない
明智光忠の生涯
- 1540年、生誕
- 1556年、明智城が落城し父・明智光久と伯父・明智光安が死亡する
- 1577年、明智光秀から亀山城の留守居を任じられる
- 1579年、明智光秀が兵糧攻めを行っていた八上城が落ちると城代として入城する
- 1582年、明智光秀が本能寺の変を起こすと攻め手の一方を担う。続いて二条御新造を攻めた際に鉄砲で撃たれ重傷を負い、山崎の戦いで光秀が羽柴秀吉に敗れたのを知り、近江坂本城へ向かい、明智秀満と共に自害する。享年43