生年 | 不明 |
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没年 | 不明 |
主君 | 織田信長→豊臣秀吉 |
拠点・知行 | 近江山田 |
官位・役職 | 従四位下・侍従 |
幼名 | 大洞 |
法名 | 浦坊 |
別名 | 羽柴信秀、豊臣信秀、三吉、三吉郎、三吉侍従 |
織田信秀の家族構成
父 | 織田信長 |
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母 | |
兄弟 | 信正、信忠、信雄、信孝、羽柴秀勝、勝長、信秀、信高、信吉、信貞、信好、長次 |
正室 | 稲葉貞通の娘 |
側室 | |
子 | 重治、虎法師 |
親族 |
織田信秀の逸話
織田信秀の生涯
- 生年不明
- 1582年、清須会議で近江栗太郡山田庄の所領を得る
- 1583年、山田庄内の屋敷を本願寺に寄贈する
- 1585年、従四位下侍従に叙任される
- 同年、いとこにあたる父・織田信長の妹・お犬の方の子織田熊之丞と共に洗礼を受けてキリスト教に改宗する
- 1587年、豊臣秀吉の九州攻めに従軍し、禁教令発布前であったため象牙のロザリオを首にかけて大坂城から出陣する
- 1588年、後陽成天皇の聚楽第行幸の際は豊臣秀吉の牛車の後ろに従い、秀吉に提出した起請文に三吉侍従豊臣信秀として署名する
- 1592年、文禄の役では御後備衆の筆頭として従軍する
- 没年不明、京都で癩病のために病死する