生年 | 1569年 |
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没年 | 1586年 |
主君 | 織田信長→豊臣秀吉 |
拠点・知行 | 丹波亀山城 |
官位・役職 | 従五位下・丹波守、正四位上・侍従、従三位・左近衛権少将、正三位・権中納言 |
幼名 | 於次、於次丸 |
法名 | |
別名 | 丹波少将、丹波中納言 |
羽柴秀勝の家族構成
父 | 織田信長 養父:羽柴秀吉 |
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母 | 養観院 養母:寧々 |
兄弟 | 信正、信忠、信雄、信孝、羽柴秀勝、勝長、信秀、信高、信吉、信貞、信好、長次 |
正室 | 毛利輝元の養女(内藤元種の女) |
側室 | |
子 | |
親族 |
羽柴秀勝の逸話
羽柴秀勝の生涯
- 1568年、生誕
- 1576年、長男・羽柴秀勝を亡くした羽柴秀吉の養子となる
- 1582年、羽柴秀吉が織田信長の命令で中国攻めを行い備中へ進軍するとそれに従軍し、備前児島・常山城攻めで初陣を飾るとその後高松城攻めにも参加する
- 同年、本能寺の変で実父・織田信長が死去すると秀吉の中国大返しに同行し、山崎の戦いで異母兄・織田信孝と共に弔い合戦の象徴となる
- 同年、清州会議で丹波亀山城主となることが決まる
- 同年、従五位下・丹波守及び正四位上・侍従に相次いで叙任される。またこの頃に毛利輝元の養女と婚約している
- 1583年、賤ヶ岳の戦いに従軍する
- 1584年、小牧・長久手の戦いに従軍し、近江草津に布陣する
- 同年、毛利輝元の養女と大阪城で結婚する
- 1585年、従三位・左近衛権少将、続いて正三位・権中納言に叙任されるが病に倒れ、丹波亀山城で病死する。享年18