藤原頼忠(ふじわらのよりただ)|橋爪淳
生年 | 924年 |
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没年 | 989年 |
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氏族 | 藤原北家小野宮流 |
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官位 | 従一位・関白、太政大臣 |
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職業 | 公卿 |
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法名 | なし |
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別名 | 廉義公(漢風諡号)、駿河公(国公)、三条太政大臣 |
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藤原頼忠の家族構成
父 | 藤原実頼 養父:藤原保忠 |
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母 | 藤原時平の娘 |
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兄弟 | 敦敏、頼忠、斉敏、慶子、源高明室、述子 養兄弟:佐理、実資 |
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配偶者 | 厳子女王(代明親王の娘)、明祐の娘 |
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子 | 源重信室、遵子、公任、諟子、頼任、最円 |
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藤原頼忠の概要
藤原頼忠の逸話
- 礼儀正しく非常に几帳面な性格だった
- 倹約家でもあり、前夜の残りの油を毎朝自ら回収した
藤原頼忠の生涯
- 924年、生誕。後に母方の伯父にあたる藤原保忠の養子となる
- 941年、従五位下に叙任される
- 942年、侍従に任じられる
- 947年、兄・藤原敦敏の死去に伴い左大臣となっていた父・藤原実頼の嫡男となる
- 948年、従五位上・右近衛少将に叙任される
- 952年、正五位下に叙任される
- 955年、従四位下・右近衛権中将に叙任される
- 956年、権左中弁に任じられる
- 960年、従四位上・右大弁に叙任される
- 963年、参議に任じられ公卿に列する
- 967年、冷泉天皇が即位すると父・藤原実頼が関白に就任する
- 968年、従三位・中納言に叙任される
- 970年、父・藤原実頼が死去すると摂政の座は従弟・藤原伊尹が就任し自身は権大納言に昇進し左近衛大将を兼任する
- 971年、正三位・右大臣に叙任される
- 972年、藤原伊尹が死去すると伊尹の弟・藤原兼通が内覧となるが、藤氏長者は頼忠が務める
- 976年、藤原兼通から一上に任じられる
- 977年、左大臣・源兼明が藤原兼通によって親王に復帰させられると、空いた左大臣に就任する
- 同年、重病で危篤となった兼通は、病身ながら参内し、最期の除目を行い関白職を頼忠に譲り、間もなく死去する
- 978年、娘・藤原遵子を女御として入内させる
- 同年、太政大臣となる
- 982年、娘・藤原遵子は中宮となるが皇子を産むことは無かった
- 986年、藤原兼家が寛和の変で花山天皇を出家・退位させ幼い懐仁親王が一条天皇として即位すると兼家が摂政として朝政を掌握したため、関白を辞職する
- 989年、死去する。享年66
光る君への藤原頼忠